みかんとドッペルゲンガー(前編)


***

いつもとそれほど変わらぬのどかな研究室の午後、
私の右斜め後ろでは同じ研究室の友人Jがみかんを上に投げてはキャッチするという
いかにも暇そうな動作を繰りかえしている。

一見するとただダラダラしているようにしか見えないが、
こうしている間にも、彼の脳内では複雑な思考が行われており、
次々と新しいアイデアが生まれているのだ。と思うことにしよう。

研究室に漂う午後三時特有の倦怠感を払うように私は彼に話しかけた。

N「何をやってるんですか。みかんで遊ぶとはけしからんですね。」

J「いや、こうすると甘くなるかなと思って。」

何げなく話しかけたのだが、彼の返答は少々意外であった。
全く無意味に思えていた行為にもそれなりに意味はあったというわけだ。
私は会話を続けることにした。

N「そう言えば、みかんを揉むと甘くなるって言いますよね。」

J「これ稲葉さんから聞いたんですよ。」

N「そんなこと言いましたっけ。いつですか?」

J「一週間ぐらい前です。」

これを聞いて不思議に思った。その話がいつのことかを聞くまでは
だいぶ前にそんな話をしたかもしれないなと思っていたのだが、
ここ数週間のうちにそんな話をした記憶は全く無い。

私は否定した。

N「あれ、そんな話しましたっけ。全然覚えてないんですけど。」

J「何を言ってるんですか。確かに聞きましたって。」

N「そのとき僕は何て言ってました?」

J「みかんの皮と実の間に空気が入った方が甘くなるって。」

これを聞いて、私の疑惑は確信に変わった。
彼に対してみかんの豆知識を教えた人物、それは明らかに私ではない。

N「それ、ありえませんよ。そんなこと初めて聞きました。
    第一、みかんを揉むと甘くなるのは揉むことによってみかんの酸味成分が壊れて、
    甘み成分だけを感じるようになるからです。」

本当にそうだったかな。

N「えーと、"もむと甘くなる"、"みかん"、で検索っと。」

なになに、みかんを揉むと呼吸が激しくなり
その呼吸に使われるエネルギー源である酸味成分を消費して甘くなる。
か、なるほど。

J「みかんって生きてるんですね。」

N「うん。というわけで、やっぱり僕じゃないですよ。
    夢でも見たんじゃないですか。」

と言いつつ、私にみかんの豆知識を享受される夢というのも相当に嫌だな。と思った。

J「夢じゃないですって。ここでみかん食べながら話してたでしょ。」

彼もなかなか譲らない。だんだん面白くなってきた。

N「ドッペルゲンガーって奴ですか。」

続く。

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 制作 稲葉 直貴